「清水くん、監督さんが一緒に野球しない?って誘ってるけど、どう?」
現 THE COLTSの引ちゃんから数日後電話が・・・
断る理由なんて一つもありません
数日後、
僕は初めて神宮外苑軟式野球場の
マウンドに立ってました
上下 紺色、帽子もアンダーシャツもストキングも紺
帽子と胸には、VOGUEとグレーの文字
相手チームは、原宿界隈の洋服屋関係
ビームス、アストアロボット、
メイドインワールド・・・
これまでの野球で対戦した人達とは明らかに風貌
舞台は神宮外苑野球場と、
どこか違う世界に足を踏み入れた感がありました
野球もそうですが、
メンバーとの会話も刺激的
ファッション、音楽
後にほとんどのメンバーが、名を轟かす事になるのですから、当然と言えば当然
僕の前にピッチャーをやっていたのは、
エドツワキくん
剣道部出身の俊美くんは、運動神経抜群
バッティングも素晴らしい選手でした
暫くすると、メンバーの多くが本業が忙しくなり
少しづつ新しいメンバーも加入したり、入れ替わりもありましたが
ボウイさんは、監督としても名センターとしても
プレーを続け、1999年 結成10年で解散することになりました
色んな意味で、塩時かな‥‥と思って
ボウイさんに問いかけたところ
「ずっと、その言葉待ってたんだよ」と言われました
こうやって文字氏にすると、変な気分ですが・・・
ユニホームを作ってもらっていたのが、
恵比寿 サンデースポーツ
ボウイさんは、
なぜかサンデースポーツの坂詰社長と馬が合い
この流れがあったからこそ、僕は後に坂詰社長に無理なお願いをすることが出来ました
今に繋がる、無理なお願いを・・・・
後にこの二人は、母の告別式にも参列してくださる事にもなります
ご縁の有難さに感謝するばかりです
野球で繋がる事がなければ、
絶対に僕はボウイさんと深くお話することはなかったです
そして、天職だと言い切れる職に辿り着く事もなかった・・・
間違いなく言い切れます
ボウイ・・・
そう、デヴィット・ボウイのボウイ
ラフォーレ原宿の向かいにあった
原宿プラザの地下のお店 バクチクから始まり
渋谷区東の、マッドギャラリー
そして青山トンネル手前で、バー青山
北青山ホテルを造り、最期の城は ガタカ・・・
帯広出身なのに、まさに THE 東京のイメージ
今でも・・・「清水くん」
と、呼ぶ声が聞こえてきそうです
真剣な眼差しで
「僕は清水くんは出来る人だと信じてるから!」
そう言ってくれたシーン、
生涯忘れる事はないでしょう
本当に有難うございました
野球で出逢えた事、VOGUEに誘って頂いたこと
本当に心から感謝します
俺、頑張ります!