本日 12月22日は、亡き母の誕生日
母が生まれたのは、昭和16年
大東亜戦争の開戦から、14日後と言う事もあり
付けられた名前は、捷子(かつこ)
現代では、勝つと言う文字を使いますが
その当時は、勝ではなく捷を使用したそう
戦争に捷つ、と言う願いを込め命名された母は
名は体を表す、と言う言葉通りの女性
勝気を絵にかいたような・・・
と言ったら、怒られそうですが
そんな強さが、人生の半分以上
難病 リウマチと真っ向から戦う事ができた要因なのかもしれません
女性に特に多いと言われる、リウマチですが
死と直結しないこともあり、今も特効薬は開発されておらず
強烈な痛みに苦しむ方が多く存在しているそう
女性初の総理大臣となった、高市さんもその一人だとか
特効薬はないとは言うものの、随分と治療も進歩し
母のような完全に寝たきりの患者さんは、現在は皆無に近いとか
一度だけ母にリウマチの痛みを聞いた時に
「不意に何かに手とか足をぶつけて、痛っ!
となるようなのが、ずっと続く・・・」
と表現してくれたことがありました
ぶつけた時の痛みは、それは大層な痛みなのは間違いなのですが
経験として、時間と共に和らぐ事を知っているから耐えることができますが
リウマチは、常にその痛みとの戦い・・・
想像を絶する、まさにこの表現がピタリと当てはまるように感じます
昨日の納会を終え、改めて感じたのは
今も元気に野球をプレー出来る事への感謝
多かれ少なかれ、ケガなど痛みなどをカバーしながら
皆さんプレーしているのが現状ではありますが
今に限った事を言えば、僕に全くどこも痛くありません
以前、左首から左腕にかけ痛みが増し
しばらく野球できない時期もありましたが、それからも回復
この今を、きっと母は喜んでくれている
と、僕なりに解釈しています
リウマチ発症し、身体の自由が利かなくなった頃
「全力で走ってみたい・・・」
と、誰かに呟いたことがあったと聞きました
野球をやり続けている事
大好きな事をやり続けていれる事
それを亡き母が何より喜んでいると信じ
もっともっと、野球まみれでいたい、と強く感じる
亡き母の誕生日、12月22日でした